日本のパラリンピックのパイオニア
日本のパラリンピックの歴史は中村裕という一人の外科医の情熱によって始まりました。
1927年に大分県別府市で生まれた中村は、九州大学医学専門部を卒業し、国立別府病院整形外科医として勤務していたころ、リハビリテーションを学ぶために留学した英国で、障がい者の早期社会復帰のためにスポーツを取り入れており、社会全体にもその受け入れシステムが確立されていることに強い衝撃を受けます。
帰国後、身体障がい者スポーツの普及に全力で取り組み、第1回大分県身体障がい者体育大会を開催します。しかし「障がい者を見世物にしないで」「あなたはそれでも医者ですか」と多くの批判を浴びます。それでもあきらめずに普及活動に奔走し、1964年の東京パラリンピック開催にこぎつけ、選手団団長も務めました。
しかし日本では「障がい者は家でおとなしくしている」ことが常識だった時代です。日本の選手は病院に通う患者であり、欧米の選手はスポーツアスリートと、その差は歴然だったといいます。
また、欧米の選手は一人でタクシーに乗ったりショッピングを楽しんだりといった自立した人間として楽しんでいることにショックを受けます。1965年には障がい者の自立を目的に「太陽の家」を別府に設立。
1975年には現在のアジアパラリンピックに大会へつながる第1回極東・南太平洋障がい者スポーツ大会を開催します。
1981年には大分車いすマラソン大会を開催するなど、障がい者スポーツに尽力しますが、1984年57歳の若さで亡くなります。一人の外科医の情熱がいまの日本パラリンピックの歴史を築き上げたのです。
ナレバリコミュニティ
有料バナー
関連記事
-
-
障害者向けのスポーツの最新の情報について
オリンピックと併せて4年に1度開催されるパラリンピックなどによって、障害者向けの …
-
-
パラリンピックで注目すべきはこの2人!海外の選手紹介
パラリンピック・アスリート通称パラリンピアンと呼ばれる選手の中には、ハンディを物 …
-
-
<日本代表がワールドカップ4位に>プロを目指す「知的障がい者サッカー」の未来と課題
ワールドカップの熱狂と落胆が一段落した昨年2014年8月のブラジルで、「もうひと …
-
-
第16回CPサッカー全日本選手権大会
平成28年10月29日(土)・ 30日(日)に 岐阜県・岐阜メモリアルセンター …
-
-
障がい者バドミントン(パラバトミントン)のクラス分けとルール
パラバドミントンは、障がいにより6つのクラスに分けられています。そのうち2つは車 …
-
-
男子マラソンに出場する日本選手の努力
パラリンピックに出場する選手は、自分に残された機能を最大限に生かそうと、努力を重 …
-
-
【北海道】馬上で癒やしの時間 障害者乗馬クラブ誕生
白老町にこのほど、障害者向けのホースセラピークラブが誕生した。開設したのは、札 …
-
-
パラスポーツの紹介と体験
新型コロナウイルス感染拡大の影響で1年遅れの東京パラリンピックが開催されました。 …
-
-
障がい者向けスポーツのバドミントンは車いす等の障がいがある人でも楽しめる
インドネシアを始めとした東南アジアや、日本および中国等の世界各国で根強い人気を持 …
-
-
障がい者がみんなで楽しめるスポーツボッチャ
障がい者がみんなで楽しめるスポーツには、ボッチャがあります。元々は脳性麻痺や四肢 …